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予期せぬクラッシュは世の栄枯盛衰を見る
 文化祭が終わりましてとりあえず一息。6日にして11月最初の雑記でございます。
 期間中はひたすら屋台の題字を作りひたすらニンジンを切った5日間と言っても過言ではなかったような気が致します。そのくせ3日の文化の日だけはスーツをぱりっと着込んで評論家の先生の講演会などを主催していたりもするので何がなにやらわかりませんけれども……。
 関係各位の皆様お疲れ様でした。講演会に来て下さった皆様ありがとうございました。そして三浦雅士先生2時間を越す興味深いお話をありがとうございました。
 とても面白い講演会だったのでもっと大々的に宣伝しておければ良かったなぁと後悔もしつつ。

 大学のサークルはそろそろ役職交代の時期でして、引継ぎのためのマニュアルなどを用意したりと現/そろそろ前・委員がわさわさとしております。
 そんな中、文化祭の講演会に使う司会の原稿を「来年のために(会室のパソコンに)保存しておこう」と編集委員長がぽつりと漏らしたのを聞いて、先日の自分のブログの記事を思い出しました。
 そこでは「小説(その他フィクション)の中でメールが手紙などより連絡手段として情緒がない理由」のひとつとして「データで保存か実物で保存か」ということを書きましたが、じゃあなんでその媒体の違いが問題になるのか……と考えた場合。先日の雑記では「モノ」に触れられるか否か、という雰囲気の違いを念頭に置いていましたが、先の言葉を聞いて、そこから派生するもうひとつの理由をふと思いつきました。
 すなわち「保存性」ですね。
 メールを初めとするデータ文書(画像)の場合、何か故障などの要素を考えなければ、持ち主がほとんど意識していなくても、一回「保存」の作業をさえしてしまえば元の形のまま残しておくことが可能です。場所もとらないし、必要なときにすぐ取り出せるし、他のデータと一緒くたにしておくことも出来る。
 しかし手紙などの紙の文書や実際の物は、持ち主が意識して「保存しておこう」と思い記憶していなければ保存できない、紛失しやすいものですよね。
 「この手紙は大切だからきちんとしまっておこう」という行為と「このメールは大切だから消さないでとっておこう」という行為は全く同じものでありながら、「保存」に対する意識の重みにかなりの差が生じる、或いは生じているように感じられるのではないかな、と思います。だってそもそも電子データって記録性・蓄積性を追求した保存できるのが当たり前のものなんだもの。
 保存しやすいのに消すとき消えるときはあっという間、ということもその情緒的なところに関わってくるのかもしれませんね。
 ……会室のパソコン、バックアップ取らないとなぁ。
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